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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)257号 判決

原告

ベーリンガー・マンハイム、GmbH(ドイツ)

被告

特許庁長官

主文

特許庁が、平成1年審判第6393号事件について、平成2年5月10日にした審決を取り消す。

事実及び理由

第1当事者の求めた判決

1. 原告

主文同旨

第2当事者間に争いのない事実

1. 特許庁における手続の経緯

原告は、1980年8月5日に西ドイツ国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和56年8月5日、名称を「血液から血漿又は血清を分離する器具及び方法」とする発明(後に「完全血液を分析する方法」と補正)につき特許出願をした(昭和56年特許願第121959号)が、昭和63年11月30日に拒絶査定を受けたので、平成元年4月14日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を同年審判第6393号事件として審理したうえ、平成2年5月10日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年8月1日原告に送達された。

2. 本願発明の要旨

「完全血液から血漿又は血清を分離し、引き続き分析する方法で完全血液を分析する場合に、血液を、ゆっくり平均直径0.2~5μm及び密度0.1~0.5g/cm2のガラス繊維製の層を通して滲み出させ、分離された血漿又は血清を取得し、この際、分離すべき血漿又は血清の量を、ガラス繊維層の吸引量の最高50%になるようにし、引続き流出する血漿を診断材中に導入することを特徴とする、完全血液を分析する方法。」

3. 審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明は実願昭53-77177号(実開昭54-178495号)の願書に添付した明細書及び図面の内容を撮影したマイクロフィルムの記載に基づいて当業者が容易に発明できたものと判断し、本願発明は特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものとした。

第3原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由中、本願発明の要旨、引用例の記載事項の各認定は認める。また、本願発明と引用例に記載された方法の一致点及び相違点の認定は、本願発明のガラス繊維層が濾過層であることのみを争い、その余を認める。(省略)

1. 本願発明の技術思想とガラス繊維層の作用効果(省略)

2. 引用例発明の技術思想と濾過層の作用効果(省略)

3. 両発明の層の作用効果の比較(省略)

4. 本願発明の数値限定の意義と審決の誤り

本願発明の要旨に規定されているガラス繊維の平均直径、層密度、分離すべき液体成分の量に関する各数値限定の組合せは、本願発明のガラス繊維層が所期の作用効果をもたらすための必須の要件であり、審決のいうように「好適な範囲を実験的に適宜決定した程度のこと」ではない。

本願発明と引用例発明との間の相違点をなす本願発明の各数値限定について審決が行った認定判断は、本願発明のガラス繊維層と引用例発明の濾過層の各作用効果の上記相違を看過して両者とも篩としての作用効果をもたらす点で同一であると誤認したうえで、この誤認を前提におこなわれたものであり、本願発明の採用した組合せにより上記作用がもたらされるということは、引用例にはそれを窺わせる記載すらなく、当時の技術水準において予想の域を越えていたのであり、審決のいうように、その数値限定に格別困難があったとは見られないとは、到底いうことができない。

第4被告の反論の要点(省略)

第6当裁判所の判断

1. 引用例発明と本願発明とは、審決認定のとおり、「両者は全血をガラス繊維濾過層を通して有形成分を除去し、得られた血清または血しょうを試薬層に到達せしめて全血を分析する方法である点で一致し、両者の実質的相違は、(1)後者がガラス繊維の平均直径を0.2~5μm、(2)層密度を0.1~0.5g/cm2、(3)および分離すべき血しょうまたは血清の量を、ガラス繊維層の吸引量の最高50%と限定しているのに対し、前者にはかかる点についてはふれるところがない点にのみある」ことについては、本願発明のガラス繊維層が濾過層であるか否かを除き、当事者間に争いがない。

また、引用例発明の濾過層が有形成分をその表面又は内部に止めこれを通過させないものであり、原告のいう篩としての作用効果を示すものであることについても、当事者間に争いがない。

2. そこで、本願発明のガラス繊維層が原告主張のとおりのものであるかどうかについて検討する。

(1)  甲第2号証の2及び甲第3号証によれば、本願明細書の発明の詳細な説明の項には、この点に関し、以下のとおり記載されていることが認められる。

まず、従来技術をその問題点とともに説明している記載の中で、「血液細胞分離用の診断材に濾過膜を被覆する提案も公知である……。これら診断材の欠点は、濾過膜を通って血液を非常にゆっくり、かつ少量だけ透過することができるにすぎないことである。それというのも、これは容易に目づまりし、相応して反応は長時間かかるからである。」と述べられており、これら従来技術と対比する形で、本願発明の課題につき、「遠心分離することなしに迅速かつ確実に少量の血液を分離しかつ殊に診断の目的の試料調製として好適な、完全血液から血漿又は血清を分離する方法で血液を分析するための簡単な器具をみつけることであった。」と記載され、この課題解決のために、「血液をガラス繊維単独又は他の繊維と混合した堆積物を通して流過させる際に、迅速かつ簡単に、満足しうる量で、完全血液から血漿もしくは血清を分離することが判明した」こと、この事実は、従来例に「白色血液成分の分離のためにガラス繊維マットを使用することが記載されているが白血球の分離のためには、付加的な濾膜の使用が必ず必要とされることから、一層意想外である」と説明されている。

ついで、本願発明の特徴が述べられ、その中に、「ガラス繊維の充填されたカラム、濾過器又は他の好適な容器もこのために使用することができ、血液を単に流過させることにより遠心分離するすることなしに血清又は血漿を得ることができ、これらは適当な方法で診断器具に用意することができる。それというのも、血清もしくは血漿は、赤血球及び白血球よりは迅速にそのような層を通過するからである。」との記載がある。

また、図面を用いた本願発明による診断器具の説明の中には、本願発明のガラス繊維層による分離について、次のとおり述べられている。

「血液滴8をこの迅速診断材の上に施こした後に、ガラス繊維紙中で血漿は、赤血球及び白血球から分離される。こうして分離された血漿は、分離層4を経て診断剤の反応帯域1に入る。血漿が反応帯域に侵入する特定時間の後に、分離層をその開放端で把み、ガラス繊維紙及びネット5と共に引き離す。引続き、検出反応を行なう反応層を、肉眼で又は反射測光法で評価することができる。」

「ガラス繊維紙中で赤血球から分離された血漿は、ガラス繊維紙中で反応層まで拡散し、この中に入る。」

「血液を吸着性材料の開放面の上に又は、直接吸着性材料の隣りに滴下し、ここから迅速に吸収させ、ガラス繊維紙に吸引させる。引続き、ガラス繊維紙の吸収性により血液を上方にガラス繊維紙に吸引させると、この際赤血球の分離が行なわれ、血漿は反応層1に達する。」

「ガラス繊維層の反応層からはなれた側の上に血液滴を施こす際に、まず血漿がその分離位置の前線で吸着性の層9に達し、直ちにこれにより吸引されるように血漿―赤血球分離が行なわれる。」「血液8は、孔を通ってガラス繊維紙3上に達するように診断材上に施こす。ガラス繊維紙中で分離された血漿は、反応層1上に当たり、……」「血液8を上から容器中に入れる。次いで下向きの道からガラス繊維を通って血漿が血液の赤血球から分離される。容器の下部に集まる血漿は、例えばエンドーツー―エンド毛細管により吸収するか又は吸引し、直接、他の診断法に供することができる。」

「血液8を上が解放されているこの容器中に入れる。赤血球及び白血球の分離を行なった後に、ピストン17を挿入し、かつ注意深く圧搾することにより、まず血漿を射出部から圧出させることができる。」

「血液8を上からこの容器内に充填する。血漿は、赤血球の分離の後に容器の下に集まり、容器の下部の圧搾により取り出すことができる。この場合、弁16は、血漿が血液細胞を含有する上部に逆流することを阻止する。」

また、本願発明の実施例5の説明において、「血漿の取得の調査のために、ガラス繊維紙3の中央に、次の第3表に記載の血液量を施こし、30秒後に吸着性層9の湿り、並びに場合によっては過飽和を測定する。」との記載が見られる。

(2)  本願明細書の発明の詳細な説明に見られる上記各記載によれば、本願発明のガラス繊維層は、液体成分と有形成分を含めた完全血液全体がその中を通過できる構造を有するものであり、この構造を前提に、その通過の過程で、ガラス繊維層の内部にある間に液体成分が先に行き有形成分は遅れて行くその移動速度の差異を利用し、両者を分離するものであると見るのが、自然な見方であるといわなければならない。

被告主張のように、本願発明のガラス繊維層が、有形成分は通過させず液体成分だけを通過させる篩として働き、液体成分だけがガラス繊維層を通過し終えるときに両者が分離されると見ることは、上記のとおり、本願発明が従来公知の濾過膜を用いる診断材が目づまりをし血液が迅速の透過しない欠点を解消するために、「迅速かつ確実に少量の血液を分離しかつ殊に診断の目的の試料調製として好適な、完全血液から血漿又は血清を分離する方法で血液を分析するための簡単な器具をみつけること」を目的としたものであり、本願発明のガラス繊維層により、「血清もしくは血漿は、赤血球及び白血球よりは迅速にそのような層を通過するからである」と説明され、層を篩として使用する方法には限界があるとの認識の下にこれによらない方法を提供することを眼目とするものであることを無視することになり、採用できない。

(3)  本願明細書の発明の詳細な説明の記載中に、被告が主張するように、本願発明の実施例に用いるガラス繊維層につき、「ガラス繊維紙」「ガラス繊維紙」「ガラス繊維フィルター」として、「ガラス繊維フィルター」の用語が用いられていることが認められ、フィルターという用語は、通常、濾過層すなわち篩の作用効果を有するものを意味する用語であることは当裁判所に顕著であるから、一見、本願明細書においても、この用語を用いることによりガラス繊維層が篩としての作用効果を有するものであることが示されているかのように見える。

しかし、上記「ガラス繊維フィルター」の用語が本願発明のガラス繊維層を構成する素材を示すために使用されていることは、その製造者名・商品名、商品番号を挙げた上記記載自体から明らかであり、また、あるものが篩として働くか否かは本来そのもの自体で決まるわけではなく、そのものと濾過されるべき対象との関連で決まるものであるから、その素材がガラス繊維フィルターと通称されていても、本願発明のガラス繊維層の素材とする材質を有するものとしてこれを選定することは少しも不自然ではない。

したがって、本願明細書において、上記の形でガラス繊維フィルターの用語が使用されているからといって、そのことだけで、これを使用したガラス繊維層が完全血液からの液体成分の分離との関係で篩として使用されていると即断することはできず、この用語が使用されていることを根拠に本願発明のガラス繊維層の作用効果が引用例発明の濾過層の作用効果と同じであるとする被告主張は失当である。

その他、本願発明のガラス繊維層の作用効果が引用例発明の濾過層の作用効果と同じであると考えさせる資料は、本願明細書の発明の詳細な説明の記載全体を検討しても見出せない。

(4)  被告は、引用例中の「濾過層は、血液中の有形成分を一挙に、または、例えば、白血球、赤血球、血小板の順に濾別除去する。」との記載を挙げて、引用例発明においても、濾過層中における液体成分と有形成分の移動速度の差を利用していると主張する。

しかし、同じく層中における液体成分と有形成分の移動速度の差を利用しているとしても、液体成分のみが層を通過し有形成分は通過しないことを最終的なよりどころとする引用例発明の濾過層と、有形成分も層を通過するが、層内部における両者の移動速度の差異のみをよりどころに両者を層内部で分離する本願発明のガラス繊維層の作用効果との間には、目的達成に必要な要件を決定する際の要素において大きな相違があることは明らかといわなければならないから、この相違を無視する被告の主張は採用できない。

3. 以上の検討の結果をもとに、本願発明の要旨を見れば、その「完全血液から血漿又は血清を分離し、引続き分析する方法で完全血液を分析する場合に、血液を、ゆっくり平均直径0.2~5μm及び密度0.1~0.5g/cm2のガラス繊維製の層を通して滲み出させ、分離された血漿又は血清を取得し、この際、分離すべき血漿又は血清の量を、ガラス繊維層の吸引層の最高50%になるようにし、引続き流出する血漿を診断材中に導入することを特徴とする、完全血液を分析する方法。」との文脈に照らし、本願発明と引用例発明との相違点(3)に係る構成、すなわち、上記「分離すべき血漿又は血清の量を、ガラス繊維層の吸引量の最高50%になるようにし」との数値限定が、完全血液の分離に関する要件であることは明らかである。

そして、本願発明のガラス繊維層は、液体成分と有形成分を含めた完全血液全体がその中を通過できる構造を有するものであり、この構造を前提に、その通過の過程で、ガラス繊維層の内部にある間に液体成分が先に行き有形成分は遅れて行くその移動速度の差異を利用し、両者を分離するものであって、有形成分は通過させず液体成分だけを通過させる篩として作用するものでないことは前示のとおりであるから、そのまま放置して有形成分をも通過させてしまっては、液体成分と有形成分の分離はできないことは明らかである。

したがって、この点についての何らかの手段が必要であるところ、完全血液中に占める有形成分の量の割合が最高約50%であることが本願優先権主張日前周知であったことが認められ、この事実によれば、「分離すべき血漿又は血清の量を、ガラス繊維層の吸引量の最高50%になるように」すれば、前記移動速度の差異により、有形成分を排除できるのに対し、吸引量がこれを超えると有形成分を排除しきれないおそれがあることが明らかであるから、この数値限定は分離の目的を達成するために必須の要件といわなければならない。

審決は、この数値限定が「ガラス繊維の充填量に関するものであり、」と認定しているが、この認定は、本願明細書に同数値限定がガラス繊維の充填量に関するものであることを示す記載は一切ないこと及び上記説示に照らし、誤りといわなければならない。

4. 以上のとおり、審決は、本願発明のガラス繊維層と引用例発明の濾過層の各作用効果の差異を看過し、上記数値限定の意義を誤解した点で誤っており、この誤りが審決の結論に影響を及ぼすものであることは明らかであるから、審決は違法として取消しを免れない。

(牧野利秋 山下和明 木本洋子)

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